佐賀県ガイド

卑弥呼は佐賀にいた?

 佐賀県にある神崎駅前は卑弥呼の銅像が建てられています。邪馬台国は、現在の佐賀県にあったのでしょうか?
 佐賀県は、旧石器時代の遺構が残されていて、そのうちのひとつが吉野ヶ里遺跡です。ここが日本最大の環濠集落として完成されたのは、紀元前4世紀頃と言われていますが、集落としてこれが邪馬台国に関わる遺跡なのではないかという説があります。
 日本に邪馬台国という国があった、その根拠は中国の魏志倭人伝がもとになっています。もちろん日本にはそんな資料は残っていないわけですね。魏志倭人伝というのは、三国志の中にある「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称です。この魏志倭人伝によれば、倭国には卑弥呼という女王を冠する邪馬台国という国があり、当時の風習などが描かれています。ただ、この邪馬台国の位置についてはいまだ論争が絶えず、残念ながら九州王朝説は否定的な意見も多く、現在は主流ではないようです。
 そもそも邪馬台国がどこにあったのか、論争が起こるのは魏志倭人伝に書かれた距離をたどれないことが原因でもあります。また、秦の始皇帝は、日本を不老不死の薬を持った理想郷だと信じて、徐福を派遣したのは有名な話ですよね。魏志倭人伝には、倭人は寿命が100歳以上だという記述があります。これを見ても分かるように、もちろん魏志倭人伝の中には、現代から見れば有り得ない伝説めいた部分が確実にあります。魏志倭人伝の中に何パーセント事実が含まれていて、何パーセントが伝説のような物なのかも分からないわけですから、邪馬台国論は結局どこでも決定打に欠けてしまうのです。
 学術的な論争はともかく、ここにもしかして卑弥呼がいたかもしれない、そう想像するのは楽しくもあります。

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